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三十三間堂通し矢!2016年の開催日や見どころ、交通状況は?

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 晴れ渡る冬の青空の下、放物線を描いて矢が飛びます。

江戸時代初期から始まり、今日まで続く、日本弓道の大競技です。

三十三間堂通し矢は、いつ、どこで開催されるの?

 三十三間堂(蓮華王院)特設会場で開催されます。

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[開催日]

2016年1月17日日曜日 9:00~16:00

 以前は、1月15日の成人の日に開催されましたが、成人の日が移動したので、

「15日に近い日曜日」ということになりました。

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第2日曜日か第3日曜日になります。2015年は1月18日、2014年は1月12日でした。

 9:00~ 新成人男性、新成人女性、称号者、決勝戦 の順で行います。

見物席は狭く、最前列はカメラマンが並びますので、いい場所を確保するには、早めに出かけるといいでしょう。

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[アクセス]

JR京都駅前から市バス100,206,208に乗り、博物館・三十三間堂前で下車。

歩いてすぐです。

 

三十三間堂の通し矢の始まりは? 見どころは?

[三十三間堂]

 正式には、「蓮華王院本堂」といいます。

同じ東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂です。

 1164年、後白河法皇の勅願により、平清盛が創建しました。

創建当時は五重塔などもある本格寺院でしたが、火災により焼失し、13世紀半ばに本堂だけ再建されて、今に至っています。

「三十三間堂」と呼ばれるのは、構造の「三十三間四方」に由来するとか、「本堂内陣の柱の間が33ある」ためとか、言われています。

 御本尊は千手観音です。

33は観世音菩薩に縁の深い数字で、「観音様は33通りに姿を変えて衆生を救われる」と、法華経に書かれています。

三十三間堂の仏は「3万3千33体」と言われますが、実際には、本尊と脇仏を合わせて1001体しかありません。1体の観音様が33体に変化するためです。

 本堂には、眷属(けんぞく)として二十八部衆、風神・雷神が安置されています。

すべて国宝に指定されています。

[通し矢の始まり]

 三十三間堂の西側軒下は南北約120mあります。

この軒下を南から北に矢を射通すのは、弓の達人でなければできません。

 通し矢の始まりは、平安時代末期(保元年間)、蕪坂源太と言われますが、はっきりしません。織田信長の時代(天正年間)、豊臣秀吉の時代(文禄年間)、通し矢を試みる者が多くなりました。

 

 江戸時代、三代将軍家光は武芸を奨励したので、通し矢も盛んに行われるようになったと言われます。

この頃から、射通した矢の本数(総矢数)を競うようになりました。

1606年に朝岡平兵衛が100本中51本射通したという記録が残っています。

 昼夜1日がかりで数千本から10,000本以上の矢を射て、軒下を通過した矢数を競いました。これを「大矢数」と言います。

13,035本中8,133本射通して「天下一」になったという記録もあります。

 

 江戸の浅草寺、奈良の東大寺でも「通し矢」が競われましたが、京都の三十三間堂の大矢数を上回ることはありませんでした。

 明治になって「通し矢」は廃れましたが、現在は「大的全国大会」が開催されて、弓道の技を競っています。

「大的全国大会」も「通し矢」と呼ばれています。

[通し矢の見どころ]

 通し矢に参加して弓技を競えるのは、称号者を除いて、新成人の男女です。

ふつうは、一生に1回しか、通し矢に出られません。

 射場は、三十三間堂西側に設置されます。

射る距離は60m、的の大きさは成人男女100cmです。

ただし、称号者の的は79cmです。

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決勝戦では、的の大きさが成人男女79cm、称号者50cmになります。

 矢は甲乙2矢射ます。

12人ずつ1列にならび、それぞれの正面60m先の的を狙います。

2矢とも的を射ることができれば、決勝戦に進出できますが、なかなか的に届くものではありません。

中には弓弦が切れてしまう人もいます。1回目(甲矢)が的を射ていれば、弦を張り直すことができますが、当たっていなければ退場となります。

 毎年、全国から1,000人以上の新成人男女が集まります。

男女ともに和服姿です。

男性は、黒紋付き・袴、稽古着・袴、片肌脱ぎなど、いろいろです。

女性は、振袖を着て、襷(たすき)をかけ、袴をはきます。髪もきれいに結い上げるので、とても華やかに見えます。

 報道関係者のカメラも、見物人のカメラも、女性射手ばかり狙うようです。

 新成人男女、称号者の優勝を表彰して、通し矢は終わります。

 

三十三間堂周辺の観光スポット

 京都東山区ですから、見たいところがありすぎて困るほどです。

1, 妙法院

 三十三間堂の本坊である天台宗の門跡寺院です。

門跡寺院とは、皇族や大貴族が住職を務める格式の高い寺院です。

 庫裏は豪壮な桃山建築で、国宝に指定されています。

大書院と大玄関は、御水尾天皇の中宮東福門院の御殿を移築しました。

アクセス; 市バス停東山七条から歩いてすぐです。

     三十三間堂から歩いても10分とかかりません。

2, 智積院

 真言宗智山派の総本山です。

豊臣秀吉は淀殿(茶々)との間に儲けた第一子鶴松が三歳で死ぬと、菩提を弔うために祥雲寺を建てました。

その跡地に建てられたのが智積院です。

 収蔵庫には、長谷川等伯とその一派が描いた25面の障壁画があります。

中でも、等伯の「楓図」と、息子の久蔵の「桜図」は見逃せません。

 池泉回遊式庭園は祥雲寺の庭を改築したもので、ツツジとサツキの美しさで有名です。

アクセス; バス停東山七条からすぐです。三十三間堂からも近いです。

3, 養源院の血天井

 養源院は、豊臣秀吉の側室淀殿が、父浅井長政の供養のために創建しました。

落雷で焼失しましたが、淀殿の実妹で、徳川二代将軍秀忠の正室崇源院(江)が再建しました。

 俵屋宗達が描いた唐獅子や象の杉戸絵や襖絵が見事です。

 有名な血天井は、伏見城の遺構です。

 関ヶ原の戦の直前、徳川家の武将鳥居元忠は伏見城を守っていましたが、石田三成に攻撃され、家来達とともに切腹して果てました。鳥居達の血にまみれた床板を天井に張り、その忠誠心と勇猛を後世に伝えました。

アクセス; バス停博物館・三十三間堂前から徒歩3分。三十三間堂のとなりです。

4, 方広寺

 豊臣秀吉が創建して、東大寺の大仏より大きな大仏を造り、安置しました。

しかし、地震で寺も大仏も倒壊し、秀吉の子供の秀頼が再建しました。

 再建時に造られた梵鐘(ぼんしょう)の銘が「国家安康」だったので、家康への呪詛だと言われ、大坂冬の陣が起こりました。

豊臣家滅亡の原因となった梵鐘ですが、今も残っています。

アクセス; バス停博物館・三十三間堂前から徒歩5分。

5, わらじや

 豊臣秀吉がわらじを脱いだという店です。

鰻(うなぎ)の雑炊(ぞうすい)「うぞふすい」と、鰻の鍋「うなべ」が名物です。

予算  ; 6,000~8,000円

営業時間; 11:30~14:00  16:00~20:00  土・日・祝は11:30~20:00

電話  ; 075-561-1290

アクセス; アクセス; バス停東山七条から徒歩3分。

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